2014年2月15日土曜日

通信住宅バス停に名残をとどめる陸軍北多摩通信所

元陸軍北多摩通信所官舎の広場
小金井街道を走る西武バスの「通信住宅」停留所(残念なことにバス停の名称が2014年に変更になってしまったそうです)の名前の由来である元陸軍北多摩通信所。通信施設に隣接して建てられていた官舎の敷地中央の防火貯水池を囲む広場が、現在は住宅地の中の児童公園になっています。

同通信所は現在の東久留米市前沢5丁目と小平市花小金井4丁目にまたがって設置されていました。

 通信所自体の敷地は現在も大部分が国有地のようで、東久留米市側には自衛隊の官舎、小平市側には日本社会事業大学の宿泊施設が建っています。戦後しばらくは大きな鉄塔が残っていたようですが、今日、通信所の遺構などを見いだすことは難しそうです。

 一方、官舎跡をまわってみると、左の写真のように戦前に建てられたと見られる同じデザインの木造家屋が数軒残っていました。推測ですが、戦後、土地・建物が民間に払い下げられて普通の住宅地になったものと思います。しかし近所ではずっと「通信住宅」と呼ばれ、バス停の名前として現在まで残っているというのがなんとも不思議です。

数軒、正確には見つけられたのは3軒でしたが、その1軒は左の写真の通り、すでに廃墟と化し、周囲に木が繁っていました。近づいてのぞいて見ると、40年以上前のものと思われる古い電気洗濯機が見えました。

もともと官舎の一筆の土地をあとから分筆しているので、敷地の境界線が不自然にデコボコしていたり、人が通るのも大変な通路が塀と塀の間を通っていたりします。

北多摩通信所について当時の関係者などに詳しく聞き取りなどの調査をしてまとめた資料として鳥居英晴著『日本陸軍の通信諜報戦 北多摩通信所』(けやきブックレット)がお勧めです。

(2012年2月撮影)